2012年1月25日主人が急死、翌年6月自分は子宮頸がん(3b期)に。現在は放射線治療の晩期障害で腸が癒着し、イレウス起こすようになってしまいました。。子なしのおひとりさまが書くブログです。
あいかわらず、ヘタレで、みんなに支えられている、うらん です。
毎日いまだに、ピイピイ 泣いていたりするけど
今日は昨日より、流す涙の量は、少なかったと思う。
昨日は学生時代の、うらんの”王子様”が一面識もないパパのためにご霊前(和菓子詰め合わせ)を送ってくれました。
アパートのご近所さんや、以前住んでいた町で親しくさせていただいた方からもカステラや栗かのこやかりんとまんじゅうなど、たくさんお菓子を頂いているので、今、パパは「甘いもの食べ放題」です。
今日は朝からまた書類の書き込みに追われ、かいせいげんこせき、だの、じゅうみんじょひょうだの、見慣れない言葉と悪戦苦闘していたら、パパのケアマネさんが近くまで来たからと「うらんさん、大丈夫?」と顔を見に寄ってくれた。
もう契約は終わっているので、ハイ、おさらばねモードだと思っていたら・・。
お昼は上の弟が嵐のようにやってきて、「パパさん、生きている間に来れなくてごめんね!」と写真の前で一礼すると香典を置いて、また嵐のように帰っていった。
弟は三つ下なので、51だと思うけど、長年会っていないうちに、頭髪が減り、それなりに老けていた。
年を取った弟の姿に、流れた年月の長さを知る。。
午後に友人からお香典と手紙が届いた。
ヒャンへ。
最愛のご主人様を失くされ、今は人生で一番辛い時だと思います。
でも、ヒャンはひとりではないし、ご主人様の分もいっぱい幸せにならなければ。
どこへでも自由に行ける体さえあれば、いろんな事ができるし、楽しい事や出会いが待っているから。
ご主人様もきっとそばにいてヒャンの幸せを見守っていてくれると思います。あと略・・
皆も、落ち着いたらきっとそばにパパの気配を感じるはず、と言っているんだよ。
ヒャンはどんかーんなヤツだから感じることができるかな、ヒャンが霊能力者だったら、パパの姿が見えるのかなあ。
また目に涙があふれてきたけれど、その涙はあふれても流れずにすんだ。
パパが亡くなった先月の25日は透析だったので、いつも2時過ぎに、うらんの携帯に「帰る」コールが来る。
透析が終わっても送迎バスの出発時間がマチマチなので、決められた時間内でしか利用できないヘルパーさんがパパの迎えに間に合わないときは、うらんが外で送迎バスを待つことになっていたから。
あの日も、いつもより10分ほど遅れて電話が入ったのだけど、、携帯を開けた指が滑って、「通話中メモ」モードに入れてしまい、慌てて元に戻したのだった。
それが、このあいだ見たら、たった一言だけど、パパの声がメモに残っていた。
弱い、かぼそい声で、まわりの雑音を消して、耳を澄まさなければ聴こえないくらいの声なのだけれど
「あ、今、出たよ」とパパの声。
この音声メモを見つけてから、時々再生しては、涙にくれていた。
これ、間違って消去しないようにロックできないかな?と、先日お焼香に来てくれた若い友人に相談したら、「たぶん取り説に出ているかも」というので、携帯の取り説を読み返してみた。
かんたんモードから通常モードに変更したら、「保護」機能が表示されました。
よかった。これでひと安心。
管理人のみ閲覧できます